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パチスロでの専業時代僕が常に思っていたこと。
「もう2度とバイトやら就職やら生活の為にという名目で労働することはないんだろうな」
そう思っていたが、当時は自分で稼ぐ方法としてはパチスロしかなかった事が自分に対して不信感を抱いていた。
専業を始めてから2年で僕は人生で1番の挫折を経験する。
スロプロの挫折体験
今までの人生で1番ショックだった挫折がスロプロの挫折だ。そこに至るまでの経緯について順を追っていく。
身の回りの環境が一変する
身の周りの環境が一変した内容は以下にまとめる。
- 実家を出る(一人暮らしを始める)
- 住処を確保する為、寮付きの仕事に就く
- 稼働地域でのGOD系の高期待値台が拾いづらくなる。
家を転々としながらなんとか食いつなぐ
引っ越しのお金は十分にあったのだが、賃貸探しの為の準備を実家で行うのは難しかった為、最初は思い付きで寮付きの仕事に就いた。
仕事探しが目的ではなく賃貸探しが目的だった為、就いた職(読売新聞の訪問営業)も2か月程でヤメ、そこで知り合った同期の家に居候という形で2か月程都内でパチスロ稼働をしていた。
その後地元の後輩の家に居候させてもらい、その間に賃貸を見つけることができた。
当時を振り返ると本当に大変だった。
家を出てからは固定の給料を一切貰わず、国の援助も受けず半年程生活していたのだから。
その上、引っ越し資金は守りつつパチスロの軍資金もキープした状態で生活費は稼がなくてはいけなかった。
この時身をもって学んだ事は、誰かに養われて生活する事や雇われて固定給を貰う労働がいかにぬるま湯に浸った状態であるかという事。
人間社会では、労働者が大半をしめているのだから当たり前のように感じるが、エサ(給料)を与えられるなんて人間以外のどの野生生物がしているんだろう。
自然界では自分のエサはみずから獲得しにいくのが常識だし、人間の個人においてもそれが本質であると僕は知った。
徐々に減る資金に対して増していく不安感
引っ越しも終わって、さあ稼働に専念するぞ!というこの頃稼働地域でのGOD系の高期待値台が拾いづらくなっていた為、期待値を稼ぐ手段としてGOD系のボーダーを2千円のラインにまで下げたのだがこれが大きな下振れをくらってしまう。
2,3ヶ月で引っ越し資金と下振れを含め100万近くお金が減る事に恐怖を感じた。
あまりのストレスで半自暴自棄になってしまい、更に風俗などでお金を使ってしまうという負の連鎖に突入する。
その年の暮れらへん、来月いっぱい稼働できない状況だなと見込みパチスロ生活を断念することになる。
スロプロ脱退、その後
手元には10万円程しかなく、パチスロ稼働をやめた次の日から生活費を稼ぐ為に近場のトレーニングジムのバイト面接を受けに行った。
その後も数ヶ月できそうなバイトの面接に行くもどこもNG。
自分を上手く売り込む嘘がつけない自分にとって採用面接では不利にはたらいてしまうのだ。
人事担当にとって、2年間も無職で就職経験すらなくパチスロで稼いで生活するという事は一般人には理解しがたく、一般的な生き方をしていない人を受け入れづらかったのだろうか。
仕事を探す気力がなくなった所で学生時代の地元のバイト先の店長に連絡をとりなんとか仕事をさせて頂ける事になって一命をとりとめた。
食いぶちがなくなったことで身をもって痛手を経験した。
労働するにせよ、個人で稼ぐにせよ1つの収入に頼るのはあまりにも危険
挫折経験から1番に学んだ事といえば、一つの収入源に頼るのは非常に危険だということだ。
この挫折経験を機にぼくは、スロプロとしてまたやるにしてもスロプロで収入を得る自分とは別にブロガーとして稼ぐ自分、AV男優として稼ぐ自分、個人商品を売り稼ぐ自分、FXトレーダーとして稼ぐ自分など、興味のある分野を追求することを理想として掲げるようになった。
また、収入源の構築で気を付けることとしては最終の段階で複数の労働における収入にならないようにすることだ。
現在と今後について
現在は地元のバイトでメンタルを回復させながら、先ほど挙げた収入源の構築にチャレンジしている。
それに伴って必要なものなどお金がある程度必要だとわかったので、新たな仕事にチャレンジしてもう少しだけ雇用される労働を耐えようと考えている。